いつか教科書に載る風景

2015年09月25日(金)

 前回(2015/7/14)のBlogでも話題にあげましたが、2015/9/19 2:18 安全保障関連法案(『戦争法案』)が参議院において可決され、成立しました。
 前回のBlogエントリーに続き、今回もいたって真剣です。なにせ、日本の近未来や民主主義が危機的状況なのですから。そして特に、学生の配偶者候補、卒業生の配偶者、あるいは子ども(特に息子)が、戦争でいのちを落とす危機、または、誰かのいのちを奪う危機が、もう目の前に見えてしまったのですから。さらには、これから生まれくる「いのち」に対して、最善の選択なのか、大変懐疑的なのですから。

 高校時代、社会科の選択科目に於いて、私は地理を選択してきました。なぜか歴史が好きになれなかった、というのと、子どもの頃から自動車に興味があり、その産業の成り立ちや、作っている地域に興味関心が湧いた、というのがその理由です。地理の勉強をしていると、自動車好きが高じて身に付けた知識が活用できて、比較的楽に関連する知識が学べ、大手を振って自慢できるぐらいの点数を取れた事も大きな理由だと思います。
 小学校の『社会』でも5年生、6年生で歴史を学びましたが、その内容(日本史のウルトラダイジェスト版と世界史のさわり)には興味が湧かず、数字の羅列にしか見えなかった、夢とかロマンといったものに縁のない小学生だったという自覚があります。「昔の人が何をしたって僕には関係がない!」と思っていたあたり、今となっては人間性の未発達を痛感する訳ですが、当時の私はそう強く思っていたのです。

 先日、参議院議員の藤末健三先生が演者の『日本国憲法と安全保障法制』という勉強会へ参加しました。講演の中で藤末先生は、「歴史の教科書をひもといてみれば、世界史、日本史を問わず、人間の歴史は争い事の絶えない歴史。」という内容の事をおっしゃいました。
 その時、私は目から鱗が落ちた思いでした。「私が歴史に興味がなかった理由は、争い事なんて学びたくなかったのだ。戦国武将も皇帝も誰かを殺めて天下をとった。そんなことを『ロマンがある』とか『カッコいい』と思えなかったのだ。」と。

 近頃、インターネット上を騒がせているキャッチコピーがあります。
「まず、総理から前線へ。」
 挑発的かつ刺激的なコピーだと思いますし、このコピーを読んで「戦争法案に賛成した議員とその家族から前線へ行け!」と思う人もいるのではないでしょうか。私も一度目にコピーを読んだ時は、「自分の親族が人を殺す、あるいは他人に殺されることを『良し』としたからには、その責任とって前線へ行け!」と『怒り』の心をもって読んでしまいました。
 1982年に反戦用として発表されたこのキャッチコピー、作成者本人は義理のある人から頼まれて、その方が気に入るように作ってしまった事に苦しんでいるとか※。作成者の本心はさておき、『怒り』もって読んだ私の心を静めて考え直したのは、為政者(このキャッチコピーの場合は総理大臣)は「戦争に行く」ことで職責を果たすのではなく、「戦争に行ってはいけない」ないしは「戦争をしてはいけない」といって職責を果たすべきだ、ということです。

 今回の安全保障関連『法』は、国の最高法規である憲法に違反している可能性が極めて高いことは、多くの識者による指摘からも明らかです。個人的には「違憲立法」だと受け止めています。
 前回のBlogを繰り返しますが、先日、選挙権を18歳に引き下げる法律が制定され、次回の参議院選挙(2016年)から施行されると聞いています。Blogの冒頭に書いた危機を、学生の皆さんと共に回避するためには、人の「いのち」や「権利」を保障する「憲法」を何とも思っていないような政策を「法律」として実行した人を国会に送らないようにする「義務」が、私たちにはあるのだと、改めて感じています。
 私の名前は「一憲(かずのり)」といいますが、自民党と公明党の国会議員を中心に、名前を馬鹿にされたような、腹立たしくも憂鬱な気分でいます。

 私が『お戒名』になっているであろう22世紀の教科書に、つい最近の国会周辺で行われているデモは、社会の教科書、特に日本史や現代社会、政治・経済の教科書に掲載されることになるでしょう。その扱い方が、「○○戦争前、戦争法案に反対する人々」となるのか、「民主主義と平和憲法を守るために集まった人々」になるのかはわかりません。もちろん、後者になってほしいことはいうまでもありませんが。

※http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150213mog00m040014000c.html