佼成11月号かみしめ

2023年11月20日(月)

10月30日の月曜朝礼の中で、校長先生より佼成11月号のかみしめをいただきました。

【抜粋】

芳澍祭は素晴らしかったです。大変お疲れさまでした。普段では見られない皆さんの姿が見られたのでとても楽しかったし、嬉しく思いました。

月曜朝礼ということで、毎回のごとくご供養あげさせていただきありがとうございました。元々、日蓮宗の陀羅尼の木鉦というのは、かなり荒々しい音を出すものですが、皆さんの陀羅尼は、まろやかで芳澍らしい音を出していると思わせていただいています。

今月の会長法話は「愚痴はほどほどに」ということです。皆さんの中で「私、今まで愚痴なんか一回も言ったことない」という人はいますか?僕は、中学校・高校まで無意識に愚痴も文句も言っていただろうし、そういうこと自体が良いとか悪いとかあまり意識してなかったかなと思います。芳澍へ来るくらいの皆さんだから自分に対する意識が高いが故に、愚痴をこぼしている自分に対してすごく敏感なところがあるのではないでしょうか。でも、愚痴をこぼすということは、見方を変えれば、それだけの知性や知恵があるということです。自己中心的なことを言って愚痴になってしまう一方で、未来のことや他者のことを想像したりできる能力もあるということです。ポイントとしては、愚痴を言ってはいけないということではない、ということです。会長先生のご法話では、そこをもう一歩踏み込んで話をされています。愚痴を言ってもいいけども、それを言っている自分に気づき、「言っても仕方がないこと」を口にしている自分を認識できるかというところに転換があるように感じます。言っても仕方がないことに捉われている自分に気づき、それはもうやめようという心になれた時、今度は人様の愚痴を聞かせていただける自分になっていくということだと思います。愚痴を吐き切った時に生きる力が湧いてくるそうです。普段、愚痴を言っているわたくしたちであっても、一歩踏み出して、愚痴を言いたい人に寄り添って、その愚痴を聞き切って生きる力を引き出してあげることができたなら、そんな素晴らしいことはないのではないでしょうか。今の世の中そういう人が求められているのだと思います。愚痴を言うくらいの知性や知恵があるのですから、その人の心に潜んでいる知恵もしくは智慧を引き出してあげるのがサンガであり、法座だと思います。そこに自分が持っている慈悲と智慧をもって寄り添っていく。そういう姿勢が大事だと思います。