2015、平成27年のスタートに向けて

2015年01月06日(火)

生きる

人には、それぞれ悲しみがある
十歳には十歳の
二十歳には二十歳の
貧しい人には貧しい人の
富んでいる人には富んでいる人の
それぞれがその時その時を
耐えて生きている
心の痛みも苦しみも
みんなそうだ
自分だけが苦しいんじゃない
自分だけが悲しいんじゃない
誰もが必死で
今………と闘って生きている

私が感動して 生き方を考えたこと……。

まず、感動を!そして生き方を考えよう。

「ヘレンケラー女史」と「アニー・サリバン先生」 
アニー・サリバン先生は、もともと貧しい孤児でした。小さいころは慈善病院に入れられ…。ボストンのパーキンス学院に入学することになったのが、14歳の時です。その時の彼女の持ち物はすり切れた服一枚と、つぎはぎだらけの靴下が二足だけでした。
友だちからは、えっ~自分の名前も書けないの!?……。まったく行儀作法も何も知らないなんて最低ネ!。まったくみんなの笑い者になっていました。しかし、サリバン少女は自分に負けませんでした。辛い時や悲しい時には亡くなった両親や弟の顔を思い出し歯をくいしばって耐えました。そして、みんなが驚くほど学び続けひたすら成長していくのです。歳月が流れいよいよ卒業式です。
彼女は卒業生の総代に選ばれ大勢の前で挨拶をしました。
「みなさん!
私たちはこの学院を卒業して
いよいよ世の中の荒波に乗り出すことになりました
でも私たちは恐れたりしません
私たちが正しいことに向かって進む時、
神様はいつも守ってくださいます
私たちは世の中の人々のお役に
立つようにあらんかぎりの力を
尽くさなければなりません
神様のお考え通り
世の中の人々が正しく
真面目に暮らしたなら
この世の中に幸福が
必ずくると
かたく信じております」

アニー・サリバン女史の挨拶は、多くの人々に感動を与えました。どんな時にも自分を捨てなかった忍耐の力と自信と誇りの優しさがみなぎっていたからです。サリバン女史がヘレンの家庭教師に特別に選ばれたのはその感動の挨拶からほどなくでした。そして、卒業式の挨拶通りに言語に絶する苦闘と忍耐の末、あの三重苦のヘレンを世界の「偉大な人」ヘレン・ケラー女史にまで育てあげ「奇跡の人」を生んだのです。彼女たちは「信じる力」をしっかり持っていました。「忍耐する力」自らを信じる力を強く心に持った人たちだったのです。「忍耐」とは、額に汗して我慢に我慢を重ねる……ということではありません。じっと耐え忍ぶ……というような消極的なものでもなく「忍耐」とは、目の前でおこっているあらゆる事柄をすべて受け容れるという積極的な心の性質、心の習慣のことをいうのです。人間の我慢には限界があります……。我慢することによって逆に悲劇を重ねたという例もこの世にはたくさんあります。しかし、「忍耐」には限界というものはありません。私はサリバン女史から学びました。もっと積極的に現状を受け容れ……。開放的で大らかさを持っているのが感じられました。目の前のことを受け容れ、認めるか……ということです。では、何を認め何を認識すればごく自然に耐える力や強さや勇気が湧き起こってくるのだろうか? 私は仏教の四苦八苦といった言葉で表現され、生あるものの共通の苦しみを100%認め認識することによって、行き方もまた、より一層に豊かなものになって行くと思う。
私が十代のころ、出会ったサリバン女史の物語から、当時の日記に記していた、思いを、少し手を加えて……!

新年 あけまして おめでとう
ございます
今年もよろしくお願い致します。
人の唇から漏れる微笑みを、
自分の幸せと感じられる人間に
  私はなりたい。
-アン・サリバン-

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