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あれから70年…

2015年07月14日(火)

タイトルだけ見ると、綾小路き●まろさんの漫談に出てくる決め台詞、「あの頃君は若かった、あれから●●年…」みたいに聞こえますが、今回のBlogはいたって真剣です。

 学生の皆さんは、今テストの最中で、前期の中でも負荷の高いシーズンに入っています。でも、テストが終われば夏休み!!心なしか笑顔が増えている気がします。私も学生時代に戻れるなら、長い夏休みを有意義に過ごしたい!!

 今から70年前の今頃、日本は戦争の末期。学生は学びたくても学べない、勉強すべき時間に働かなくてはならなかった時代です。もちろん夏休みなんて悠長なことはいえず、本州のいたる場所が空襲を受け、焦土と化していった時期です。特に、6月23日(沖縄戦終結)、8月6日(広島原爆投下)、8月9日(長崎原爆投下)は忘れてはならないと思っています。

 先日、長崎県の国立諫早青少年自然の家へ行ってきました。目的は芳澍のPRですが、私にはもう一つの目的がありました。
 長崎県へ行ったことはあるのですが、長崎市内、特に原子爆弾の爆心地である平和公園周辺に行ったことがなかった私は、どうしても現地に行って、手を合わせたいと思ったのです。

 私が高校生の時、「高校生平和教育沖縄の翼」という教育で沖縄県へ行く機会がありました。そこで私が目にした光景は、「鉄の暴風」といわれた沖縄戦の現実でした。戦争に巻き込まれ、命を落とした人のことを思うと、胸をえぐられるような思いになったことを今でも鮮烈に思い出します。
 大学を卒業後、会社員時代に中学生を引率して広島での平和教育を行った経験がありますが、原子爆弾の悲惨さに、沖縄で感じた胸をえぐられるような思いを感じて帰ってきました。1945年8月6日と8月9日、日本は、世界で唯一、原子爆弾の「被爆国」になりました。原子力兵器の非人道性に疑いを持たない方には、ぜひ一度、広島と長崎に行って、現実を目の当たりにしてほしい。そんな思いでおります。

 現在、国会においては、「戦争法案」(安全保障関連法案)が審議されています。中でも「集団的自衛権」といわれる権利についての考え方が一つの論点とされているそうです。国としてこういうことはしないという約束が「憲法」ですが(中学生時代に勉強しましたよね)、武力攻撃を受けた時に国を守るためだけに武力を用いる「個別的自衛権」は認められるが、武力攻撃を受けていなくても武力を行使する「集団的自衛権」は認めていない、というのが多くの憲法学者が解釈している「日本国憲法」です。

 報道によりますと、「戦争法案」を7月15日ごろには衆議院にて可決し、参議院へ審議を移し、9月15日ごろには法案が成立するとされています。(憲法に「交戦権の放棄」が記載されているにも関わらず…)
 戦争をして、得することなど何もない、ということを70年前に学び、それを現在まで守り通してきた日本。その国会において、世界で頻発しているテロや紛争をあおる当事者になろうとするような議論は、20世紀的な時代錯誤であり、本当に愚かな恥ずかしいことだと個人的には思っています。

 そのような時代錯誤な審議をしている「国会議員」を選んだのは、私たち「有権者の無関心」にある、という現実に目を背けるわけにはいきません。第二次世界大戦前、ナチスドイツを台頭させた大きな原因は、民衆の政治に対する無関心にあったといわれています。
 先日、選挙権を18歳に引き下げる法律が制定され、次回の参議院選挙(2016年)から施行されると聞いています。すなわち、芳澍に入学する方にはもれなく選挙権が与えられるということです。「政治なんてよくわからない」という言葉を耳にしますし、正直なところ私もよくわかっていません。しかし、人の「いのち」や「権利」を何とも思っていないようなことを口にして、政策として実行しようとしている人を国会に送らないようにする「義務」(権利の反対語)が、私たちにはあるのだと痛感しています。

 明治日本の成功が、大正、昭和と時代を経て、第二次世界大戦の敗戦。昭和における奇跡の復活後、平成、そして再度の荒廃、などとならないでほしい。そうならないように、まず自分から「平和を築ける人」に向けて精進を続けなくてはならない。そして「共に平和を築ける仲間」を育まなければならないと、教育に携わる者として、仏教の教えを信じる者として、一家の主として、一人の人間として、強く、強く、本当に強く思うのです。