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教えてくれたこと

2018年06月15日(金)

6月に入りシトシト雨というより晴れたり台風の影響を受けたりと不安定なお天気が続いています。

さて、7月に行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)の準備がスタートしました。芳澍では各家のお戒名を清書しご先祖さまへの感謝のご供養します。

また、この1年でなくなられた方は校長先生にお戒名を読み上げていただきます。この1年を振り返ったとき、芳澍にとって大きな存在だった2代目校長 眞田芳憲(よしあき)先生が昨年の11月この世を去られました。

私は眞田先生に本当に大切にしていただきました。
お亡くなりになられてから、ふとした時に先生が教えてくださった言葉が浮かびます。学者であられた先生が、私と話しをする時には、私の理解度に合わせ、わかりやすい言葉でお話しくださいました。

眞田先生は昨年の7月、お見舞いに行ったとき入院先でのできごとをお話しくださいました。それは、看護師さんとのふれ合いで、「自分は学(がく)を学んできたけど、最後は人と人の触合いだと教えてもらった」というような内容のお話でした。その時に眞田先生のお姿は本当に仏さまのようなおだやかなお顔でした。

眞田先生はいつも“相手を理解しよう”、“その奥にある思いを聞きたい”と願って相手と向き合ってくださいました。

眞田先生が残された文章を以下に記載いたします。

「理解」とは、英語の“understand”に従えば、理解しようとする相手の下に立つ、相手の立場に立ったことを意味する。「下に立つ」ためには、自己の驕慢な心を捨てなければならない。ここにはじめて同悲同苦の「同事」関係が成り立つ。

理解とは、なによりも自己内省の心と隣人愛の精神的営みである。そして、真の「理解」は六波羅蜜「布施」の実践で始まり、「布施」実践で深まる。私は、こうした「理解の心」を学生に教え、伝えていくのが私の責務であると、自戒をさらに深めているものである。

分からないとき、自分が迷ったとき、相談にのってくださり必ずこちらへの課題をくださった眞田先生。先生に教えていただいたことを少しでも実践できる私になりたいと思います。