みとりし

2019年10月11日(金)

昨年、佼成出版社より発刊された柴田久美子著『私は、看取り士。わがままな最期を支えます』

その原案が『みとりし』として映画化され、東京と、舞台になった岡山を皮切りに劇場で放映されました。

「看取り士(みとりし)」

最初、この耳慣れない言葉に興味を持ちました。
人生の終わりが近づいた方を「看取る」ことは理解していましたが、それを
「士」として働く方がいらっしゃるのか…。学生の就職を担当している中でも、まだまだ世の中には、自分の知らない職業がある…。おそらく純粋に、そんな驚きと発見があったのかもしれません。

高齢化社会を迎えた今、「納棺士」にスポットを当てた『おくりびと』をはじめ「終活」に向き合う『エンディングノート』、更に今回の『みとりし』など、人生の最期を取り上げた話題が多くみられるようになりました。

今回、縁あって映画館に足を運んだわけですが、スクリーンを見つめながら
(自分は、果たしてどのような終幕を迎えるのだろうか)(静かに過去を振り返りつつ、安らかに旅立てるだろうか)そんな思いが頭の中を巡り、価値観や人生観について色々考えさせられました。

そしてもし自分にその瞬間が訪れた時は、孤独は寂しい、やはり誰かに看取って欲しい、できれば今、隣の席でずっと泣きながら、共にスクリーンを見つめている妻に…。心からそう思いました。

さだまさしの歌にもありますが、たとえばわずか一日でもいいから、私より長生きしてもらい「いい人生だった」と感謝の気持ちを伝えたい。

本のサブタイトルどおり、そんなちょっぴりワガママな(^^)願いを抱きつつ、とても心穏やかな気持ちになれる映画でした。